はは ほう   らんざん  あそ               らいさんよう  
母を奉じて嵐山に遊ぶ
         頼 山陽          

                 らんざん いた         すで ごねん
不到嵐山巳五年       嵐山に到らざること巳に五年
                 ばんしゅ かぼくまずますせんけん
萬株花木倍鮮妍       万株の花木倍 鮮妍
                もっと よろこ はは    まくら  とも
最忻阿母同衾枕       最も忻ぶ阿母と衾枕を同にし
                れんやこううんあたた  ところ ねむ
連夜香雲暖處眠       連夜香雲暖かき処に眠る

【作者】  頼 山陽( 1925〜1990 )
江戸時代後期の儒者。芸州(広島県)竹原の人。十八歳の時、叔父杏坪に従って江戸に出、昌平黌に学んだ。行動に常軌を逸するところが多い人だったため、杏坪に伴われて帰国した。その後、備後、大阪、と転々とし京都の鴨川に定住した。文政十年(1827)「日本外史」を前老中松平定信の命により進献し、盛名一時を圧するに至った。著書に「日本外史」「日本政紀」「春秋講義」「山陽詩鈔」「山陽文集」等があり、その文章は大義名分を明らかにし、気概に富み、詩も又人心を鼓舞するに足るもので、明治維新の志士たちに多大の感化を及ぼした。1832年五十三歳で没す。

【通訳】嵐山を五年もの間訪れていなかったが、いま来てみると、万株もの桜の木が花をつけて、ますますあでやかで美しい。何より嬉しいことは、毎晩、母と枕を並べ、この桜の花の香しい雲の中に包まれて眠ることが出来ることである。

【平成16年度財団全国吟詠コンクール指定吟題】