おだにじょうかいこ            しんばちくてい  
小谷城懐古
         榛葉竹庭          

                 しょうせいさら ゆえい  かえり
将星更不顧輸贏       将星更に輸贏を顧みず
                 し     さいど   わか   かんせい つらぬ
強別妻孥貫款誠       強いて妻孥に別れて款誠を貫く
                こんにちきゅうきょこうそう うち
今日丘墟荒草裏       今日丘墟荒草の裏
                すいいんなおこれせいせい か
翠●猶是掛清聲       翠●猶是清聲を掛く

※●は竹冠に均


【作者】  榛葉竹庭( 1925〜1990 )
昭和時代の漢詩人。 静岡県島田市 で生まれる。名は覚禮。竹庭と号す。法政大学卒業。若い頃から二松詩文会及び黒潮吟社の同人として活躍。漢詩研究博依会を主催。日本歴史上の人物、事跡を多く詠じている。

【通訳】  浅井長政は敢然として勝敗を無視したのである。強いて妻子を城から脱出させた後、朝倉氏との信義を重んじ城を枕に討ち死にした。今日雑草の生い茂る城址の中に立ってみると嘗てその節を曲げなかった浅井長政にも似た竹が、今でも清らかな風声を挙げている。

【参考】  浅井長政は永禄三年(1560)浅井家の当主となり織田信長の妹お市を娶り、織田家と同盟を結んだ。その後湖北から湖西にわたり威をはり、信長の覇業達成に協力した。しかし元亀元年(1570)信長の越前責めに際しては、父祖以来朝倉氏より受けた重恩に報いるために、小谷城で反信長の兵を挙げた。信長は一旦兵を引いて、京に逃れたが、天正元年(1573)七月の再攻撃で足利義明が信長に降伏し、室町幕府は滅亡した。朝倉義景が自刃するに及び、小谷城は全く孤立した。8月27日からの織田勢の総攻撃で、命運の尽きたことを悟った長政は、お市と子供3人を信長の陣に送った後、父久政と共に城を枕に討ち死にした。