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人とほく ゆきて帰らず 秋の日の 光しみいる 石だたみ道 佐々木信綱 作 |
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佐々木信綱(1872〜1963)歌人・歌学者・三重県生まれ・東大古典講習科卒・父弘綱(歌人・歌学者)没後、後を受けて竹柏会を主催・「心の華」を刊行・歌集「思草」など・歌学史・和歌史の研究家として多大の業績を残す。 |
楽譜有・18、9、18 |
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鶏頭は冷たき秋の日にはえて いよいよ赤く冴えにけるかも 長塚 節 作 |
9月、朝晩冷えるようになりました。鶏頭の赤い色がどこそこで目につきます。18,9,8楽譜有 |
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長塚 節(1879〜1915) 歌人・小説家・茨城県の旧家に地主の長男として生れた。正岡子規に入門・写生の歌に独自の境をひらく・「鍼の如く」と題す大作231首は有名。農民の世界を描いた長編小説「土」がある。喉頭結核のため36歳で没。 |
夏
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鳴く蝉の命の限り鳴く声は 夏のみそらにひびき泌みけり 岡本かの子 作 |
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蝉は地上に出て生きるのは約一週間。その間鳴く様は人間の生き様にもにて共感を得る18,8,25楽譜有 |
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岡本かの子(1889〜1939) 小説家・歌人・漫画家岡本一平と結婚。長男岡本太郎(画家)・歌集に「かろきねたみ」「愛のなやみ」。小説に「鶴は病みき」「生々流転」「老妓抄」など。耽美主義的。浪漫主義的作風で独往。 |
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雨のあしなびきて見ゆる雲間より懸け渡したる虹のはしかな 木下幸文 作 |
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雨脚はまだ風になびいているのに空ではもう雲がきれ、虹の橋が雲間に立つ様を詠っている |
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木下幸文(1779〜1821)江戸後期の歌人・備中国生れ・香川景樹に学び・桂園門下の逸材として名をなす。号は亮々舎(さやさやのや)、歌集「亮々遺稿」がある。生活苦を歌った「貧窮百首」で知られる。 |
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風吹けば白百合草を踊り出づ 山口青頓 作 |
風が吹き過ぎる瞬間、なびく草むらからすっくと身を起こす白百合を詠んでいる |
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※山口青頓(1892〜1988) 俳人・盛岡市生まれ・東大採鉱学科卒・東大名誉教授・高浜虚子に師事・心のゆとりと風趣に富んだ作品多し・句集に「雑草園」「雪国」「冬青空」 上句は「雑草園」所収 |
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百合咲くや汗もこぼさぬ身だしなみ 有井諸九 作 |
※日盛りの庭に百合が咲いている。じっとしていても汗ばむほどの夏の真昼、清らかな百合の花の傍らには、汗一筋も見せずに立つ身だし良い女(作者)がいることを詠んでいる。 |
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※有井諸九(1714〜1781) 江戸中期の俳人・筑後の生まれ・俳人医師有井浮風と結婚・難波に移る・浮風没後、剃髪・筑紫・奥州を吟遊・上句は「諸九尼句集」に所収。 |
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風ふけば蓮のうき葉に玉こえてすずしくなりぬ蜩(ひぐらし)の声 源 俊頼 |
源 俊頼(1055〜1129)平安後期の歌人、歌学者、大納言経信の3男、堀川、鳥羽の2期に仕え、従四位に叙せられた。晩年出家、和歌革新に努め「堀川百首」を成立させた。また、「金葉和歌集」選進、その詩想は俊成に流れて幽玄体へと深められた。家集「散木奇歌集」、歌論書「俊頼髄脳」がある。 |
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夜の向日葵(ひまわり)踊り果てたるごとく立つ 宮津昭彦 作 |
宮津昭彦 昭和4年横浜生まれの俳人。俳人大野林火に師事、「積雲」に掲載。 |
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春
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川ひとすじ 菜たね十里の宵月夜 母が生まれし国美しむ 与謝野晶子 作
与謝野晶子(1878〜1942)大阪・堺生まれ。歌人与謝野鉄幹の新詩社に入り、「明星」に短歌を発表。「みだれ髪」で女性としての自らの人間性を肯定し、高らかに詠いあげた。厖大な歌を詠み、歌論、社会評論、古典評釈、「源氏物語」の訳、小説等にも著作多数。若くして故郷を離れたため、故郷を歌った詩も多い。
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紫刑の花(通称 豆科のすおう) |
花に対して旧を懐(おも)う 釈 義堂 作(南北朝時代の高僧)
紛々たる世事 乱れて 麻の如し
旧根 新愁 只 自ら嗟(なげ)く
春夢 醒め来たって 人見えず
暮檐(ぼえん)雨は洒(そそ)ぐ紫刑(しけい)の花 |
【通釈】世の中のことは実にわずらわしく、まるで乱れた麻の糸のようである。その間に多くの知人を失い、昔のことを恨み、近頃のことを愁い、ただみずから嘆くのみである。春のうたた寝の夢からさめて見れば、夢に見たそれらの人達の姿はなく、夕暮れの軒端の雨が、さびしく紫刑の花にしたたっているだけである。 |
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桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり 岡本かの子 作
やがてこの花も
花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町 作
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巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を 坂門人足 作 |

君ならで誰にか見せむ梅の花
色をも香をもしる人ぞしる
紀 友則 作 |
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紀 友則(生没年不詳)
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。醍醐天皇の勅命で、紀 貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑とともに、「古今和歌集」撰進にあたったが、完成を見ずに没した。
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白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太 作
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