はは ほう   らんざん  あそ               らいさんよう  
母を奉じて嵐山に遊ぶ
         籟 山陽          

                 らんざん いた         すで ごねん
不到嵐山巳五年       嵐山に到らざること巳に五年
                 ばんしゅ かぼくまずますせんけん
萬株花木倍鮮妍       万株の花木倍 鮮妍
                もっと よろこ はは    まくら  とも
最忻阿母同衾枕       最も忻ぶ阿母と衾枕を同にし
                れんやこううんあたた  ところ ねむ
連夜香雲暖處眠       連夜香雲暖かき処に眠る

【作者】  籟 山陽( 1780〜1832 )
江戸時代後期の儒者。芸州(広島県)竹原の人。十八歳の時,叔父杏坪に従って江戸に出、昌平黌に学んだ。行動に常軌を逸するところが多い人だったため、杏坪に伴われて帰国した。その後備後、大阪、と転々とし京都の鴨川に定住した。文政十年(1827)「日本外史」を前老中松平定信の命により進献し、盛名一時を圧するに至った。著書に「日本外史」「日本政記、「春秋講義」「山陽詩鈔」「山陽文集」等があり、その文章は大義名分を明らかにし、気概に富み、詩も又人心を鼓舞するに足るもので、明治維新の志士たちに多大の感化を及ぼした。1832年五十三歳で没す。