べんせいしゅくしゅく……
上杉謙信と武田信玄の戦い

ふしきあんきざん     う     ず   だい     らいさんよう
不識庵機山を撃つの図に題す  頼山陽 作          

               べんせいしゅくしゅくよるかわ わた
鞭聲粛粛夜過河     鞭聲粛々夜河を過る
               あかつき み  せんぺい たいが   よう
暁見千兵擁大牙     暁に見る千兵の大牙を擁するを
               いこんじゅうねん いっけん みが
遺恨十年磨一剣     遺恨十年一剣を磨き
               りゅうせいこうていちょうだ いっ
流星光底逸長蛇     流星光底長蛇を逸す


【作者】 頼 山陽(1780〜1832) 
江戸後期の儒者。芸州(広島県)竹原の人。父は安芸藩の儒者で山陽はその長男として1780年大阪江戸堀に生まれ、広島で育った。幼少の頃から詩文の天才を持っていた。18歳で江戸に出て昌平黌に学んだが20歳で広島に帰った。性格的に少し常軌を逸するところ有り転々とした。備後の管茶山の廉塾の学頭等もしたが、再婚後京都に定住した。[日本外史]を前老中松平定信の命により進献し、一躍有名になった。

【解説】 不識庵は越後の上杉謙信、機山は武田信玄、ともにその法号である。両雄の川中島での戦いは1553年の第一回から、最後は1561年の5回に及んでいる。この詩は山陽が自分の[日本外史]の資料から謙信の胸中に同情する形で作られている。

【通訳】 上杉謙信の軍はひっそりと鞭音も立てない様にして、夜の内に千曲川を渡って川中島の敵陣に攻め寄せた。武田側は明け方霧の晴れ間に上杉方の大軍が大将の旗を中心に守りながら迫ってくるのを見つけた。この戦いでは謙信は信玄を討ちとることができなかったが、その心中を察すると、誠に同情にたえない。この十年の間一ふりの剣を研ぎ磨いて、その機会を待ったのであるが、うち下ろす刀光一閃の下に、ついに強敵信玄をとり逃がしたのは無念至極なことであった。