石川啄木(1886〜1912)
岩手県日戸村に生れる。渋民小学校、盛岡中学校に優秀な成績で入学。1902年「明星」に歌一首が採られ、これを機に中学を中退し上京。同人に推挙され雅号を「啄木」とした。名付け親は与謝野鉄幹、晶子夫婦である。結婚生活、代用教員生活、新聞記者生活等の経験によって、現実観察の根底を形成した。1908年北海道から上京し病死に至る東京生活は文学精神を成熟させる格好の経緯であった。「一握の砂」「悲しき玩具」等 「啄木文学」を生み出し、1912年4月14日27才の若さで病死した。