長塚節(1879〜1915)

茨城県国生村(現・石川町)生まれ。県会議長を務めたこともある地元有力者の長男として生まれる。1890年東京根岸の正岡子規を訪問啓発を受ける。子規没後は、根岸短歌会を束ねる伊藤左千夫に随伴、「馬酔木」「アララギ」の発行に携わった。この頃、斉藤茂吉、島木赤彦らと交流する。短歌から、写生文、小説へと文芸の巾を広げ、「土」「炭焼きの娘」を残した。黒田てる子との婚約、そして、咽頭結核発症による婚約破棄。九州路を旅し福岡大学付属病院で不帰の人となった。