【作者】 徳川景山(1800〜1860)
水戸藩九代の藩主。名は斉明、あだなを烈公、号を景山という。徳川幕府十五代将軍の父親。人となりは英明果断、神道を尊び、異端を拝し、皇室を尊崇し、藩政を改め、田地の境界を正し、学制を整えた。天保十二年藩学弘道館を起こし、文武を奨励し、意を海防に用い、西洋の法を採用、銃砲諸隊を編成して実地に演習を試みるに至った。ペルリ来航のとき、大砲七十四門を幕府に献じた。将軍継嗣問題等で井伊直弼と対立、謹慎蟄居を命ぜられ、長子慶篤を藩主に立てた。斉昭公は、その臣藤田東湖とともに、尊王攘夷の志を抱き、しばしば幕府の嫌忌を受けている。結局、これらが元で水戸の旧臣等十八人が桜田門外において、時の大老井伊直弼を要撃した一因ともなった。
【解説】 天保十二年、水戸に弘道館を建て、大いに国体を尊び、文武、作法、音楽から銃砲の操練、医術にいたるまで課をわかって教え,館中に多くの梅を植えた。その梅に託して文武を理想とし、有為の人材を育成しようとする意を述べたもの。
【通訳】 弘道館の中にはおよそ千株もの梅の木がある。その梅は今満開で、清らかな香りがぷんぷんとあたりに漂っている。昔、晋の武帝が学問を好むと梅の花が開き、学問をやめると咲かなくなった故事から、梅を好文木と称するようになったというが、その一面、武の威力が梅にないといえようか。あの厳しい寒中に雪を冒して独り咲き出でて、天下の春のさきがけをなすのは、まさにこの花である。